2006年7月22日(土) 竹ノ塚労音ホール4F
ぬちぐすいライヴ2006 〜あえかなる君〜 普天間かおりwith五十嵐宏治
「笑点」レギュラーでお馴染みの林家たい平師匠からお花をいただきました。
 今年、2月25日に東京労音東部センターで普天間かおりと五十嵐宏治のジョイントライブを開催しました。
東部センターは、70席少しの会場で立ち見のお客様もいらっしゃるほどの大盛況だったため、今回は300席の竹ノ塚労音ホールにてのコンサートを行うことがすぐに決まりました。

普天間は、最近のライブで平和への思いをこめて「二見情話」を歌うことが多いです。
そんな気持ちからでしょうか…今回のMCで特に印象深いものをご紹介します。

1999年春の選抜高校野球大会決勝戦、沖縄尚学と水戸商業(茨城)の話です。
沖縄県勢が初めて甲子園を制した瞬間、沖縄尚学の観客席から歓喜のウェーブが巻き起こりました。
何度目かの波が起こったとき、なんと相手側水戸商応援団に到達したのです。
ウェーブが甲子園を周回するということは、高校野球史上、初めての出来事でした。

しかし、ここまで気持ちが一つになれるまでどれだけ時間がかかったでしょう。

沖縄のチームが初めて甲子園の土を踏んだのは1958年。夏の甲子園が第40回という節目の記念大会を迎え、沖縄のチームが「招待」される形で始まりました。
 
代表となったのは首里高校です。
当時は、アメリカの統治下にあったのでパスポートを取らなければ本土に来ることができませんでした。
その沖縄勢が甲子園に参加するということは、高校野球ファンならずとも一つの事件でした。

首里高校は負けてしまうのですが、ナイン誰もがするように甲子園の土を集め持ち帰りました。
しかし、「外国の土」が植物防疫法に抵触するという理由から、首里高ナインが持ち帰った土は港で海に捨てられてしまうのです。
何故なら当時沖縄にとって、日本は外国だったのです。
今では想像もつきませんが、とても悲しい話です。

後日、この話を知った日本航空の客室乗務員・近藤充子さんが「土が駄目なら石を」と考えて、桐の箱に甲子園の小石を詰めて首里高に贈ったそうです。
その甲子園の石は野球場の形に並べられ、現在も首里高校にある「友愛の碑」に刻まれているとのこと。

会場では涙をする人の姿が多く見られました。
ウチナンチューとしてのアイデンティティとスピリッツを持つ普天間の話には、平和を大切にしなければならないという説得力が強く感じられました。
セットリスト
1.君の讃歌
2.掴めないもの
3.Beautiful Name
4.ある日渚で
5.砂浜
6.涙の海で抱かれたい
7.芭蕉布
8.R329
 9.二見情話
10..祈り
11..CHAMP☆LOO
12..What A Wonderful World
13.蘇州夜曲
14.火の鳥
15..あえかなる君
16.笑って
Encore
  うちへ帰ろう

P.五十嵐宏治
G.PONY
B.スティング宮本
Per.上野義雄